天使の微笑
昨日書いた愛敬の話から思ったことです。
赤ちゃんの微笑みを思い浮かべました。
生後間も無くみられる、天使の微笑みとも呼ばれるものです。
それは不随意運動だといわれています。
レム睡眠時に起こることから、何かしらの夢を見て笑っているのだともいわれます。
いずれにしても、外部からの刺激に反応して起こる微笑みではなく、赤ちゃんの内面から起こっているものであるということは間違いのないことです。
これは生後2、3ヶ月くらいで見られなくなり、次には何かを見て笑うようになります。
この笑顔も実は、特定の何かを識別して笑っているわけではなく、人でも人形でも何でも、目に何かが写ったら笑う為、普遍的微笑と呼ばれています。
その後、私達が普通考える、何かを識別して笑う笑顔が見られるようになります。
ちょうどその頃、お母さんと他の人を区別できるようになり、人見知りをするようになります。
人間の赤ちゃんは生まれてすぐに産声をあげます。
何故泣くんだろう?
そこにすでに、ものすごい神秘を感じます。
肺呼吸を始めることと関係があるんだとも言われます。
泣く 吸う 握る 笑う
赤ちゃんがみせる 原始と神秘
笑う為の表情筋を鍛えているといわれることもあるようですが、生まれてすぐに、本能的に笑顔をつくる筋肉を動かしているという、それ自体がすごい。
しかも、内面世界から起こっているという。
ですから、微笑、微笑むという仕草は、宇宙の大神様の御心なのではないかと思うのです。
お釈迦様は、和顔悦色施を説かれました。
それは何といえばいいのか、これまで私が考えていたような、人為的な行為を超えたところから知り得、そして教え説かれたものではないかと思ったのです。
仏様や菩薩様のあるがままのお姿は微笑をたたえている。
それは宇宙の大神様の御心、そのものである。
そして私達人間も、生まれながらにそれを与えられているということなのかもしれません。
私は仏教を深く学んだわけではないですが、ただなんとなく、昨日からそんなことを考えていました。
人に笑顔を向けられない時 それは
悲しい時
悩んでいる時
怒っている時
等など
・・心塞ぐ時
私に多いのは
考え事をしている時
これはつまり、心が今ここにないということです。
そうすると
情けは人の為ならず
という言葉のように、これもまた
自分の為の行い、つまり布施であるということが理解できそうです。